ナスカ地上絵の謎と考察(仮)  
まとめの書『アトランティスの幻/地球の真実の歴史(楽天kobo)
無料試し読み《 第1章 アトランティスが実在した証拠。
※このページはしばらく更新されていません。まとめの書に最新情報が載っています。

・序

 南米には多くの遺跡が有るが、発見や発掘されているのはごく一部に過ぎないと言われている。その中でも多くの人を引きつける異色で謎の遺跡として「ナスカの地上絵」が有る。空からしか確認出来ない図形が多く有り、その謎について色々な説が唱えられている。

 これまで、アトランティス→南米説、天孫→アマゾン説、大国主の国譲り→アトランティス戦争説などの仮説を書いてきた。
 参考→ 古代文明の謎

 そしてその説でナスカ地上絵の謎も解明出来る事に気付いた。東アジアがアトランティス(アマ)の支配地であったなら、本国である南米と交流が有ったはずである。しかもそれは古代の空飛ぶ乗物(アマの鳥船、以下「鳥船」と呼ぶ)を使った空路での移動である可能性が出てくる。
 そこで、ある仮説が生まれ、ナスカの謎が解けるのである。

 つまり、ナスカはアトランティスの飛行場だったのだ。

・重要なのはナスカライン

 ナスカはハチドリやクモの地上絵が興味を引いているが、注目すべきなのはナスカラインだ。その理由は作成に掛かる労力である。動物の地上絵は一人で1日で作れるという説も有る。しかしナスカラインは総延長が数千kmに及ぶといわれ、作成には膨大な日数と労力が必要だったはずである。
 ラインで重要なのは、角度、長さ、幅である。それに注目してみよう。(本当は深さも重要だが現時点で調査できない)

 右図2がナスカで地上絵が最も密集してる所 である。右下のナスカのアイコンは監視塔が有る場所になる。

 ここに目立つ巨大な長方形と長い直線が有る。この向きに沿って黄色い線を引く。
 他にも四角形ナスカラインが右上と上に有り、これらもほぼ同じ方向を向いている。この画像では見えないが、サギやトカゲと呼ばれてる地上絵も頭が同じ方角を向いている。
 非常に目立つこのラインの向きは重要だと考えられる。

 また、三角形の矢印のような地上絵も多い。これらは揃って南の方向を向いている、この向きにも何か意味がありそうである。

誘導路1
 図2
右図1がナスカ周辺の南米の地図である。ナスカで目立っていたラインは、正確にクスコを指し示していた。クスコは昔、世界のヘソと呼ばれていたと伝えられている。
 クスコからナスカまで、定規ツールで線を引いてみると直線距離で約370kmである。

 ナスカの北西にはカンデラブロ(燭台)と呼ばれる地上絵が有る。これはパラカス半島の北側斜面に有り、砂の上に描かれた地上絵にも関わらず、長年に渡って消えない謎の地上絵でもある。

 カンデラブロの遠く東にはインカの首都だったクスコが有る。これらは関連した遺跡であると考えられる。

位置関係
 図1
右図3はナスカ平原全景である。南方にはカワチ遺跡がある。この付近にも地上絵が多い。しかもナスカとは変わった地上絵が多い。これに付いては後述する。

 ここで目立つナスカアイコンから左下に伸びる大きく白い線は、自動車の通った跡であり道路である。しかしこの道路はクスコの方向と一致している。これは偶然では無い、この道路の側に全長6kmぐらいの直線ナスカライン(赤い線)があり、それと平行して道路が走っているからである。
 またカワチアイコン付近から左上に伸びる白い線も目立つが、このライン上には鉄塔が立っており送電線の管理道路であると思われる。

ナスカ平原
 図3
ナスカ平原の北東の端には、途中で枝分かれしたような分岐滑走路型の地上絵が有る。

 この長い方の主滑走路も、ほぼ正確にクスコの方向を指している。では分岐した方はと言うと、その方向を辿ってみるとそれほど正確では無いがビルカスワマンという街を指しているようだ。
 余り知られていない地名だが、調べてみるとインカ時代は太陽神殿と月の神殿が有った場所らしい。重要な遺跡だったのかも知れない。

 また三角をアレンジした地上絵(赤線)も有るが、これもクスコの方向を向いている。

分岐滑走路
 図4
ナスカ平原の南東の端にも地上絵は有る。直角が印象的な直線複合型ナスカラインだ。

 クスコから直線を引くと(黄色の線)、これもやはり2本の直線ナスカラインに正確に一致する。
 ビルカスワマンからこの場所に直線を引いてみると(緑色の線)、これにも一致するナスカラインが有る。ただこちらは微妙にずれているようだ。


図5

 以上のようにナスカの地上絵の中で、最大級の滑走路型のナスカライン(四角形ナスカライン)がクスコの方角を正確に示しており、全長6kmの直線ナスカラインも正確にクスコを指している。さらにはビルカスワマンを指している四角形ナスカラインも存在する。
 ナスカの四角形ナスカラインは上空からでも目立ち、古代の「鳥船」の空路標識として機能することが十分可能だったと思われる。三角形のナスカラインと細い直線のナスカラインは、上空から比較的目立ちにくいと思われるので違った目的があると考えられる。

・カワチ遺跡付近の地上絵の謎

 ナスカ平原の南方にカワチ遺跡はある。ナスカの地上絵に南向きの三角形ナスカラインが多く有った事から、古代においてここが意味の有る地点であったと考えた。

 この付近にも地上絵があるが、それはナスカ平原とは違った様相を示している。短いナスカラインが多く有り、しかも密集している。それは何故なのだろうか。

右図6はカワチ遺跡の南1.5kmほどの場所に有る地上絵である。

 分かりにくいかも知れないが、幅の広いナスカラインがきれいな円弧を描いてUターンしている。これはナスカ平原には無かったタイプである。
 しかも多くのナスカラインが不規則に重なっているようにも見える。


 図6
この地上絵を抜き出してみると右図7の様になる。直線と円弧が連続した図形となる。幅は約20m直線部分は1km近く、これを繰り返している。

 この図を見て真っ先に浮かんだのが自動車やバイクのスラロームコースだった。
 鳥船操縦の練習用のコースであれば、この奇妙な図形は明確な意味を持つ事になる。この地上絵のコースからはみ出さないように正確な操縦を訓練したのかも知れないし、機体の性能を試験をしたテストコースであったかも知れない。
 この様なコースを持つ施設は鳥船の運転教習所か整備施設、または製造工場などが考えられ、重要な施設であっただろうと推測される。


 図7

 ナスカ平原の北端には、頂点が南を向いた三角形ナスカラインが多く有った。そのことから南には何かが有ると推測出来たが、それは鳥船にとって重量な施設のようである。三角形ナスカラインの向きは進行方向を指示していると見て良さそうである。

 四角形ナスカラインはクスコの方角を指しており、三角形ナスカラインは南の重要施設を示している。この形状の違いの理由は何であろうか。

 これは見る高さに関係してそうである。クスコまでの距離は遠く重要施設は近い、よってクスコ行きはナスカ上空を、重要施設に行くには必然的にナスカ低空を飛ぶことになる。
 そう考えると形状の違いも説明が付く、細い三角形は上空から見えにくい、大きい四角形は低空では方向がつかみにくいが上空からは良く見えるだろう。
 よって形状の違いは高度による見えやすさに関係し、上空用の目印として四角形ナスカラインを作り、低空用の目印として三角形ナスカラインと直線ナスカラインを作ったと考えられる。四角形や三角形や直線のナスカラインには、明確な理由があったのである。

・ナスカライン以外の地上絵の意味

 ナスカライン以外もハチドリとかクモとか印象的な地上絵が多い。これはどんな目的で作られたのだろうか。それには次のようなものが考えられる。
 1.上空から見る人を和ませる為のタダの絵だった。
 2.ナスカラインとセットで行き先を示す標識アイコンである。
 3.ほとんどが一筆書きで出来ていることから、絵のラインをトレースする為の練習コースだった。

 この内のどれかかも知れないし、いろんな目的の絵が混在してるかも知れない。しかしどれにしろナスカラインほど重要な意味は持ちそうにない。
 今まではこれらの絵の方が重要視され、ナスカラインは省みられる事が少なかった。しかし絵の方はほとんど意味は無く、ナスカラインの方が重要な意味を持っていたと考えられるのである。

・古代の航空路?

 アトランティスが全盛期だった古代において、鳥船はかなり活発に使われ、当時のナスカ付近が混雑してた様子がナスカラインの複雑さから窺える。混雑による事故防止のために、ナスカラインの様な複雑な地上絵が必要になったと考えられるからだ。では、より広い範囲での空路はどうだったのだろうか。

 東アジアからナスカを経由しクスコに向かえば、その先にはアトランティス(アマ)のアクロポリスが有る。
 参考→ ストーンヘンジの謎を解く

  この飛行コースは「東アジア→カンデラブロ→ナスカ→クスコ→アクロポリス」であったと思われる。また逆に帝国各地からクスコを経由して東アジアに向う飛行ルートも有ったはずである。よってナスカやクスコ周辺には東アジアに向う西向きコースと、クスコを経由して国に帰る東向きコースが存在していたと考えられる。しかし無秩序で飛行すれば混乱が生じたはずで、何らかの空路が設定されていたと推測される。

(注 その後の調 査で、カンデラブロの向きはナスカとずれてる事が分かった。また日本からの発着地として鹿島神宮が有力になった。)

 東アジアからはリマ上空を通りクスコ・ナスカに向かったようだ。(赤色線)
 東アジアへはナスカから直接飛び立ったようである。(黄色線)
 ナスカ→クスコ。(水色線)

 参考→ 鹿島神宮とナスカ


 図8
 クスコからナスカ に向って飛行する時は、そのままだと正面衝突の危険性が有るので、飛行コースをずらす必要が有ったはずである。クスコからナスカ の重要施設に向う場合は直接ナスカに向わずに、ビルカスワマンを経由して赤色のコースを取ったと思われる。
 つまりナスカは北側が侵入空域になっていたと考えられる。

 右にナスカ平原の北端から南方を眺めた画像 を、東から順に集めてみた。三角形ナスカラインが数多く有る。

 これはまるで進入路のように並んでいる。これは北方空域からの低空侵入用だだと考えられ、上記の説を裏付けるものである。

 中には鳥船が船底を地面に擦って直線的に飛んで行ったような跡もある。




 図9〜19

・ナスカラインの統計的科学的分析(未)

 「し、しばらくお待ちください・・・」
 ナスカラインの向きと幅と形から、ナスカ上空の航空路が立体的に出てくると思っています。頭の中では想像付いているのですが、もっと統計的に科学的に分析する必要が有ると思います。ナスカラインはかなり広範囲に有り数も多かったので、どうデータを取りまとめるのか思案中です。なにしろ総延長が1500kmもあるらしい・・・
 一枚画像にしてレイヤーで、と思ったのですが、でか過ぎて無理のようです。メモリー不足です(笑)。画像+CADの+表計算の様なソフトが有ればいいのですが・・・

 (ナスカ地上絵研究の続編ができました→ 「鹿島神宮とナスカ」 、 「ストーンヘンジの謎を解く」更に研究を進めており、全容解明までもう少 しです!)

・まとめ(仮)

 東アジアに拠点を作ったアトランティス(アマ)は、鳥船を数多く派遣した。そして役目が終り祖国に帰る飛行も多かった、というのが最初の仮説である。
 そして鳥船が東アジアから南米に帰還する場合は、最初はとりあえず東を目指して進み、南米大陸を遠くに確認出来たら、カンデラブロ地上絵を目印にすることでナスカ上空に達したことが推測された。次にナスカラインの向きと形状を調べた結果、四角形ナスカラインを目印に上空を通過する事で、正確にクスコまで飛行できることが確認できた。これでナスカ地上絵が古代の空路標識であった可能性が高まったと言える。
 次に三角形ナスカラインに注目した。これは平原の北端に多く存在し、頂点が南を向いている場合が多い。そして南方にはカワチ遺跡と、重要施設の痕跡と思われる地上絵が発見された。
 これらのことからナスカの地上絵は、上空と低空用に目的が分かれている事が推測され、形状や方向の違いによって鳥船の誘導することが可能であると分かった。よって古代の空路標識であるという仮説が成り立つと言えるだろう。ただし統計的な分析は、着手はしたが未完成である。

 ナスカ周辺空域は、東アジアとの往来が多くなるにつれて飛行の混乱が生じ、明確な空路分けと空路標識が必要になっただろうと考えられる。神殿を基準に北方空域を西向き空路、南方空域を東向き空路と分けたが、ナスカ付近には鳥船の重要施設と思われる場所も有り、更に明確に細く航路を指定する必要に迫られた。その結果が複雑なナスカの地上絵になったと考えられる。

・この章あとがき

 古代のクスコは、東アジア征服の拠点の町として機能し、帰還者や出征者などが集まり大いに賑わったのでは無いだろうか。またクスコは、東に有る首都アクロポリスとを結ぶハブ空港的な役割を持ち、それが世界のヘソと呼ばれる理由になったとも考えられる。
 当時のアマは空路の設定が可能なほど高度な技術を持っていたこともナスカ地上絵から推測出来る。もしかしたら地上絵の分析から鳥船の大きさや構造まで推測可能かも知れない。これは地上絵の詳細な分析と共に今後の課題である。
 ナスカもまた賑わっていただろう、鳥船の重要な拠点になっていたと考えられるからだ。ナスカは東アジアに向けた大船団が集結するには最適の場所であったと思われる。古事記に出てきた「天の鳥船」はナスカから出陣したの可能性が高い。一筆書きでない唯一の変わった地上絵がナスカ中央部の小山の斜面に有る。宇宙人の絵と呼ばれているが、ここから皇帝が鳥船の大部隊に檄を飛ばし、出陣を眺めたのかも知れない。この小山を指し示すナスカラインも多く有る。

 ナスカには飛鳥に通じる物が有ると感じる。「あすか」を何故「飛鳥」と書くのか、その理由は古代南米から鳥船が飛び立ったからかも知れない。アスカ(ナスカ)から鳥船が飛び立ったのだ。
 南に有るカワチ遺跡は河内に繋がるのだろうか。カワチには腕の良い技術者が多く住んで居ただろう。どちらも天孫にとって忘れる事の出来ない誉れ高い地名であったと考えられる。

 しかし、アトランティスは崩壊した。有りとあらゆる部品や資源が足りなくなり、ナスカやカワチの重要施設の全てが破壊され回収され再利用されたと思われる。特に鳥船関係の部品や技術は最も貴重だったからだ。
 やがて全ての知識は消え、地球の反対側の遠い日本に微かな伝承が残っただけであった。
 ナスカの地上絵が現在まで残っている事は、奇跡であると言わざるを得ない。

 2010.2.19仮、2010.10.4カワ チをカワチに 変更、2012.5.27検索を考慮して小修正、2013.5.8微小修正
4章 ナスカ地上絵の謎と考察(こ のページ)
5章 日本のナスカ、巨石の謎
6章 天の鳥船と建御雷について
7章 鬼伝説の真相
8章 巨石の謎その2 考察
9章 海に沈んだ大神殿、海底遺跡の位置
ホーム