アフリカに有った超巨大津波(大洪水)の痕跡 余りにスケールが大き過ぎて、最近まで気が付きませんでした。
変な地形が多いなとは思っていたのですが、ウンザリするほど見てたんですが・・・ 反省です。
その1 アフリカ北部の大地のスジ 【特徴】
・アフリカ大陸の西の端のモーリタニアでは、ほぼ「横方向」にスジが付いている。
(図1)
・エジプト南部では「縦方向」にスジが付いている。
(図2)
・中央部のリビアやチャドでは「斜め右上方向」にスジが付いている、しかもそのスジは 「山の部分を避け湾曲」している。(図3)
・これらのスジは、「モーリタニアから地中海まで繋がっている」ようである。
【仮説】
これらは超巨大津波の水が流れた痕として考えられないでしょうか。
超巨大津波が大西洋側からアフリカ西部を襲い、アフリカ中央部やナイル川上流まで達し、地中海方向に流れていったとすると、 この地面のスジと、想定される水の流れが一致すると思えるのです。
これらのスジに添って簡単にラインを引き、右方向に→を付けてみました。(図4)
図4
どうでしょうか。矢印は明らかに一連の方向性を持っており、高い所を避けて水が流れたような痕に見えます。 これは大西洋から超巨大津波が有ったとすれば、その水の流れに一致するものと思われます。
その2 エジプト白砂漠の奇岩 エジプトの首都カイロの南西約300キロメートルに白砂漠と呼ばれる所が有ります。そこには石灰岩の奇岩が立ち並び観光地にもなっており、 その奇岩はあたかも波で削られた海岸の岩に似ています。
上が角張ってるが下は細く滑らかで、下の部分だけ激しい侵食を受けている岩。
これが風と砂の侵食でしょうか? |
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水の侵食を受けたような地面。 |
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これらの奇岩は、地表付近を大量の水が流れた為に出来たのではないでしょうか。
その3 サハラ砂漠の砂 サハラ砂漠は温度差によって岩が砕けて出来たという節が主流らしい、サハラ砂漠の砂は非常に細いので有名である。
サハラ砂漠の乾燥化は約5000年前からと言われている。
クフ王のピラミッド内部からも砂が発見させている。この砂は非常に細い砂で、日本の泣き砂に極めて類似していると言う。
(注)
しかし、ピラミッドが造られたのは約4500年前と言われてるから、ここに大きな矛盾が出る。この間はたった500年しか無いのである。 乾燥化後にサハラの砂が生まれたという定説は、形成年代的に不可能であると言えるだろう。
よってサハラの砂は乾燥化以前に存在していなければならない。
乾燥していない大地において、大規模な砂の層が出来る原因は洪水か津波しかない。 よって年代ははっきりしないが有史以前に、サハラの大地に大きな洪水か津波があった事は明白であると言える。
砂が水に運ばれる時、細い方が遠くまで運ばれる。ただし余り細いと淀まないと堆積しないから、あまり細い粒子は流れが有る所では溜まらない。 つまりこの波によって運ばれ溜まると言う微妙な大きさの石が「砂」である。
サハラ砂漠の砂は内陸部でより細いらしい。よってサハラ砂漠の砂は、洪水と言うより大規模な津波によって形成された可能性が高い。
サハラ砂漠! これこそ大洪水(超巨大津波)の痕跡かも知れません。
まとめ 【結論】
有史以前にアフリカ大陸北部を覆い尽くすような超巨大津波が有った可能性は高い。
【考察】
地面のスジは標高800メートルの高地にも有るが、大部分が500メートル以下のようです。 これから推定すると津波の高さは300メートル級だったと考えられます。
豊予海峡の津波は50メートルぐらいと思われますので、この超巨大津波が日本を襲った可能性も有ります。
津波の発生源は、北米大陸の北に存在した巨大氷床(ローレンタイド氷床)の、巨大な氷床湖が決壊しメキシコ湾に流れ込んだ為と思われます。
予想される津波の水位
メキシコ湾、カリブ海 1000メートル
南米東部 500メートル
アフリカ、ヨーロッパ西部 300メートル
地中海、紅海 200メートル
インド、東南アジア 150メートル
日本太平洋側 100メートル
日本海側 50メートル
これはアフリカと豊予海峡を襲った津波の規模の推測からかなり適当に推測しました。
ただ疑問として、ちょっと規模が大き過ぎるような気がします。
ローレンタイド氷床でなぜ巨大な氷床湖が育ったのか、それに付いては次のような仮説を考えています。氷床の下に イエローストーン火山が有った為に、この熱で氷床の深い所に巨大な氷床内湖が長期間にわたって育ったと推測しています。
この巨大氷床湖は何らかのきっかけで決壊し、イエローストーンの辺りからメキシコ湾にかけて一気に流れ込み、 メキシコ湾で高さ1000メートルの波(津波)を生み出したという説です。
【おまけ】
伝説のアトランティス軍が、なぜ海峡で護られた地球海で洪水(津波)で全滅したのか疑問を感じていたのですが、これなら納得です。 津波の情報を得て陸地の奥に避難したかも知れませんが、まさか陸地の奥から津波に襲われるとは想定外だったと思われます。 アトランティス軍がギリシアに近いアフリカ北部に展開してれば、全滅必至だったしょう。
この超巨大津波に襲われたアフリカ北部は、ほぼ生物がほぼ全滅したと思われます。 生き残れたのはアトラス山脈、中央部の山岳地帯、ナイル川東部と南部山岳地帯ぐらいかと思われます。
ナイル川上流まで洪水に襲われたようです。エジプトの民は地中海からでは無く、山の方向から津波に襲われた事になります。 まさしく『大洪水』です、津波と呼ぶ事は無かったのでしょうね。
まさしく「ノアの箱船」神話のような、人類を滅ぼす大洪水が古代で有った可能性が出てきました。 偶然船に乗っていて2千メートルの山腹まで打ち上げられて助かった人も居て、メソポタミアの ジッグラトの様な実話と宗教的な創作が混ざり、ノアの箱船神話が出来たのかもしれません。
ノアの箱船神話によれば「洪水は40日間続き水の勢いは150日間衰えなかった」そうです。 半年以上も津波が続けばエジプトの白砂漠のような侵食も発生し、大量の砂が陸地に打ち上げられるでしょう。
【お願い】
優秀な津波シミュレーターが有れば予想される規模と流域と、アフリカの「スジの分布」と「砂漠の砂の分布」を比較し、 学問的な証明レベルまで高める事が出来るかも知れません。 そこまで行かなくとも「エジプトの地形の分析」を多く調べる事で津波の裏付けが可能かも知れません。
どうでしょうか? 研究してみませんか?
まともな学者の誰もが否定していた先史時代の大洪水、それを証明出来たら歴史に名が残るかも知れませんよ。
連絡先 exa@pipi.jp
【痕跡】
現時点で先史時代の巨大津波の痕跡と考えられる物には次の地形があります。(2011.8.27追加)
・アフリカの砂漠の砂の分布と流紋の様な地形。
砂が細過ぎるし粒も揃い過ぎています。内陸部の方が粒が小さいという妙な分布をしています。 これは風化では無く、海の波による浸食が原因だと思われます。
流紋の様な地形は風の影響と思われていますがGoogleEarthで過去の映像を見ても変化は見られません。
・同様の事がオーストラリアの砂漠にも言えます。
・アメリカ合衆国ユタ州の地形。
グランドサークルと呼ばれるウェーブとかその近辺の地形は、ローレンタイド氷床の大規模な氷床湖の決壊によって形成された可能性が有ると考えています。
・豊予海峡の海底地形。
・関東平野などにある分厚い堆積層。
2010.12.10、 2010.12.15白砂漠と砂追加、2011.8.27痕跡追加
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