近代国家は必ず破綻を繰り返す
近代国家のほとんどは国民から税金を通貨で集め、それを配分する事で成り立っている。
しかしこの様なシステムでは国家はいずれ必ず破綻する。
なぜならこの様な国家は税金を広く集め、集まった税金を政府で予算を決めて配分することになるが、
配分した先には利益となり企業や団体がそれを充てにして活動するようになる。
予算を減らされたら死活問題であるので、予算の減額にはあらゆる集団で抵抗するだろう。よって予算を減らす事は困難になる。
しかし社会の変化や時代の変化に伴い、新規の必要性の有る事業が増えて行く。この結果国家の予算は増え続け、いずれ国が借金をするようになる。
借金が増えて行っても予算の削減は困難であり無理に実行すれば政情不安を生むだろう。
どうにもならないまま時が経ち最後には国家が財政破綻する。これは分かり切っている道筋である。
つまり医療や福祉などを税金で補助し整備しようとすれば、予算は際限なく増え続けるだろう。関連業界は効率良く確実に補助金を得る手段を考える。
それが最も正しい経済活動だからだ。自ら減らそうとする馬鹿は存在しない。公共事業や軍事費においても同様である。
減らせば会社が倒産し失業する人が出てくる、業界は必死で予算を増やそうと死力を尽くす。
国家予算を減らせば失業が増え税収が減る、そして社会福祉の費用は増大する。この悪循環を止める事は出来ない。
よって現代の近代国家における税金を集め配分すると言う社会システムは、将来必ず財政破綻するシステムなのである。
国家破綻の解決方法は戦争だった
通貨を基本にする国家システムとは、国民を馬車馬のように働かせる発展途上国向きの経済システムなのだ。そして最後は国家が破綻するのを避けられない。
この問題を解決するため戦争を起こす必要が有った。戦争が有れば混乱に乗じてあらゆる誤魔化しが出来た。
戦争特需や戦後の復興需要により一時的に解消されたように見えるかも知れない。しかし根本は何も変化していないし解決もしていない。
よって定期的に戦争し国家破綻を誤魔化す事が国家にとって必須になる。
しかし何度戦争しても、やっぱり最後は破綻する運命に変わりは無い。国民は失うために努力しているのだ。
近代国家の国民は「繰り返す大戦争を招くために日々努力して生活している。」と言えるのである。
そしてそれは「国民は国家よりも、通貨の支配者の利益の為に努力している。」事を意味している。
国の維持管理システムを変える必要が有る
ではどうすればいいのだろうか。これを解決するためには、税金を通貨で集めるという社会システムを変える事が重要である。
国家にとって必要な事業は、国民や各自治体や関係企業が協力して実施する形にすれば良い。
事業の承認と実行は国が予算を付けるのでは無く、関係者が行うようにすればこの問題は解決する。
国の役割は予算配分では無く、計画を立て指導と纏め役をする事になる。この様な国家運営は古代にも見られ長期間安定して国を維持できていた。
基本経済MAZUも同様な発想である。これを国家として導入すれば社会福祉や公共事業が国民の社会奉仕として実現する。
予算は不要である、必要なのは国民の労働力の分配と優れた計画性である。
国家の予算が毎年増え続ける事が必死なのと比較し、MAZU型国家事業は整備されれば後は毎年減り続ける。
それは国民が税金を渋り予算を分捕る方向を目指すのでは無く、労働力をなるべく減らす方向に努力するようになるからだ。
インフラが完全に整備されれば公共投資は0で済む。それで十分だし国民はそれの方が満足できるのだ。
生活の心配も無いから自由に使える余暇が増えるだけである。よって無駄な公共事業をする必要性は全く無くなる。
沢山税金を払っていながら無駄な物が作られ続けると言う馬鹿な循環も無くなる。
国は税金が無い方が発展する
法人税や所得税の税率引き下げは経済効果も高く、これに異論を挟む人は居ないだろう。そしてMAZU経済においても通貨は否定しない。
通貨を得るために仕事する人も当然存在するし、経済にとって重要な役割を持つ。しかしその役割は少し変化する。
国家の税金は通貨で支払う必要は無くなり、社会奉仕こそが国家が必要とする国民の義務になる。
もちろんMAZUに反対する人は、社会奉仕を拒否する代わりに今までと同じように通貨でその分を支払って構わない。
国家はこの社会奉仕を拒否して集まった資金(税金では無く反則金)を元手に事業を行える。
もしMAZUの参加者が少なければ、これは見かけ上は今までとほとんど同じであり変化を感じる事は少ない。
よって重大な社会システムの変更だが、移行はほとんど混乱も少なくスムーズに行われるだろう。
資本主義→共産主義の様に一気に大規模に社会システムを変更すれば、大混乱が起き多くの国民は不幸になるだろうが、その心配は無い。
しかしやがて大きな違いが生まれる事になる。最も大きな差異は国民の義務に通貨は必須でなくなっている点だ。
通貨の支配者が作った理不尽なルールの元で、通貨を得るために過酷な労働や目の色変えてマネーゲームをする必要が無くなっている事に気付くだろう。
そして社会を維持するために必要な奉仕は、社会や技術が進歩すれば進歩するほど減少する。
更に失業者や経済的理由で進学を諦める人は存在しなくなり、福祉に落ちこぼれるような人も居なくなるだろう。
そして人々は儲けるためでなく、社会を良くするように努力し奉仕するようになる。
そのほうが自分にとって利益に繋がる事を実感するからだ。
優れた芸術は貧困からは生まれない。むしろ安定した生活が必要である。
国民の義務を通貨による税金から労働奉仕を基本にしたMAZU経済的な国家は、国民に究極の安定した生活を与えるだろう。
なにしろ国民は税金や保険など数多くの支払いをする必要が無いのだ。最小限の社会奉仕する事で無税国家になるのである。
病気や事故や失業により公共料金の支払いにも窮し、財産や家を差し押さえられる様な事も無くなる。
芸術家は生活を気にする必要も無くなり、事業家を目指す人は失敗を恐れず起業する事が可能になる。
その結果創作や発明が多数生まれ、萎縮した経済や文化
に活気が生まれる。よって文化も科学もずっと発展するだろう。
税金が無く、失業者も無く、文化も科学も発展する。
これが新しい国の形である。
近未来に実現可能な国の形である。
2010.5.23
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