・グローバル経済の行き着く先
グローバル企業に勝てるのは、より巨大なグローバル企業だけである。
優れた技術が有れば違う、という意見もあるかもしれない。しかし、現実には技術力が有る企業が大企業に吸収される場合が多く、
情け容赦ない物量の前には、淘汰を余儀なくされる。
よってグローバル企業はより巨大化しようとする。これは生存本能であり止めようが無い。吸収合併を繰り返し、
ライバルを蹴落とし、より巨大化していく。
これは自明の理である。グローバル化した経済の行き着く先には、これ以外の道は無い。
そして最後に、一つの超巨大なグローバル企業複合体が世界経済の頂点に立つだろう!
その巨大さは、世界経済はもちろん、世界の政治をも支配する事が可能だ。強大な資本は政治を動かす事が出来る。しかも、
その頂点に立ったグローバル企業の複合体の意思決定は、その頂点に立つほんの10人程度の経営者に支配され、
その会議も密室で秘密裏に行われるのだ。
工場は人件費の安さを求め世界中に移動し、会社は税金の安い国を探して移動する。その結果、世界中に
は大多数を占める低賃金労働者が生まれ、農民はその流通や販路に支配され農奴のように働き、小さな工場経営者は失業を畏れ、
必死に奴隷の様に働くであろう。
世界中の経済活動が一つの意志で支配されるのだ。その力は絶大だ。言論の自由は無くなり企業批判も出来なくなる。
反抗すれば仕事を失い、世界中どこへ逃げても就職が困難になる。
超巨大グローバル企業は経済を支配し、それは政治を動かしマスコミをも支配する。その結果、軍隊さえも支配可能なのだ。
世界経済を支配した超巨大グローバル企業体には、全世界が屈服するしか無い。
そこには民主主義は正常に機能せず、言論の自由も無く、逃げ場も無い。このような世の中が近づいて来ている。
その足音が段々大きくなりつつ有る。
経済の発展に伴い、企業の規模は大きくなり、経済競争の吸収や合併を繰り返し、国家予算をしのぐ様な資本を動かす企業が出て来てし
まっている。しかもこの巨大企業の運営は、ごく一部の資本家によってなされており、かつての国王や独裁者と同じような立場に居る。
違いが有るとすれば、資本によって情報と政治を支配するその巧妙さだ。まさに経済や資源が膨大な力となり、大多数の民衆の意志を無視して、
社会に大きな影響を与え歴史を翻弄し初めている。
そしてグローバル企業の資本家の経済力も無秩序だ。現在においても経済と資源は、相変わらず個人の所有になっている物が多い。
これが資本主義と言われている。そこでは、個人が所有出来る財産の上限は事実上無い。
地球全てを個人で所有する事も資本主義の名の下に可能だろう。
国単位では独占禁止法が有り、産業の独占は監視され規制されている。また、企業同士での談合も禁止されている。
これらが禁止されている理由は、弊害が多く国や国民に悪影響が大きいからだ。しかし、グローバル化した経済は無秩序に近い。
グローバル経済においても、独占禁止や談合禁止は重要なルールであるにも関わらず、現実には資源の独占が可能なのだ。
人間が生活して行く上で必要な「力」を持つ物は、「人、物、金、資源」である。言い換えると「政治、武力、経済、資源」でもある。
これらの強大な力は、歴史のうねりとして人や物を動かし時に争い、生産や消費をすると同時に破壊や殺人を産み出して来た。
中世の社会において強大な力は、政治権力であり武力で有った。これを少数の集団が支配し、大きな力として存在していた。
その弊害から近代社会では民主主義を生み育て、今は政治や軍事の独裁は、ほんの少数の後進国に残っているだけである。
しかし、科学技術や経済が繁栄した現代において、新たな強大な権力が生まれている、それは「経済」である。
権力を少数の集団に支配させる事の弊害は歴史が証明している。「経済」は巨大な資本の力で、政治も雇用もマスコミも支配できる、
そして最後は人の心も支配してしまうだろう。
巨大資本というかつての皇帝にも匹敵する巨大な力に、今まさに民主主義を導入しなければ、民主主義はやがて衰退し消え去るだろう。
グローバル経済による支配が完了してからでは、手遅れになってしまう。
長い時間を掛け、困難と戦いながら、政治と軍事を市民の手の元に置いたように、巨大な経済力も、市民の手で、自らの手でコントロールする必要が有る。
このままグローバル企業が成長すれば、現代文明を滅ぼす可能性がそこから生まれる。
そしてグローバル企業の飽くなき欲望は、世界を滅ぼすまで止まらないだろう。
2009.9.28、
2010.6.28最後の行追加
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