・日本人はどこから来たのか
日本の古代といえば縄文時代が有名です。縄文時代は、1万2千年前ごろから始まり、世界最初の土器を使う文明と言われています。
縄文時代には不思議な所がいくつも有ります。まず驚くのは、その交易範囲の広さです。縄文遺跡からは、翡翠や黒曜石、貝殻とかが見つかっており、この原産地も調査されています。ともかく、この原産地と流通が驚くほど広範囲に広がっているのです。
それは、沖縄から九州本州はもちろん、北海道からアムール川中流域まで交流していた事が分かっています。主な移動手段は船だったと思われますが、文明が生まれてすぐに、2千キロ以上におよぶ交易圏を持っていたのです。
日本人のルーツとして、大陸の中国奥地では無いかと言う説も有ります。これは、ロシア東部のブリヤート人やチベット人と遺伝子的に近いと言う理由からだと思われます。しかし、日本人は海を好み、魚を生で食べる習慣が有り、山岳民族とは遠い感じがします。
そこで思いつくのは、スンダランドの水没によって住む土地を奪われた民族が、すぐ北の日本に移住したのではないか、という可能性です。アメリカ大陸へのモンゴロイドの移住も、1万2千年前ごろに活発に行われ、南アメリカ南端までたった千年で到達しています。ペルーの先住民とエスキモーと縄文人は、遺伝子的に近い事が分かっており、スンダランドの水没で移住が急速に必要になったと考えれば、縄文文明の急な発生も、モンゴロイドが太平洋沿岸域に一気に拡散した事も説明が付きます。
約1万2千年前の世界の大崩壊の後は、地球的な気象変動が激しく、移住したとしても過酷な生活になったと思われます。その証拠に、縄文時代の遺跡にも放棄されたり再利用された痕跡が多く見受けられます。
そんな移住先の中でも、日本は海と山と川が密集していて、気象変動が大きくても最小限の移住で切り抜けられただろうと思われます。そして、雪が降るので真水が豊富にあり、これらが好条件となり縄文文明が定着し長く続いたのでしょう。
地球規模で気候が安定したのは割と最近です。1万2千年前だけでなく、約8千年前にも大崩壊が有ったと思われます。そして約4千年前にも小崩壊が有ったと思われます。これ以降は現在まで続く気候安定期で、多くの文明が発達し記録が残っています。
今は温暖化などと言われ騒がれていますが、約6千年前は今より温暖であり、海面も今より5メートルも高かったのです。もっと大きな気候変動に見舞われていたのです。
4千年前から気候が安定したと言う事は、日本の自然が豊かで変化に跳んでいると言う優位性が、相対的に失われたと言える時期だとも言えます。そして、世界中の広い平野部に多くの民族が住み始め、大陸の大河中流域に文明が発達し、やがて日本もそれに翻弄されて行きます。
古代文明と気象変動は大きな関連があり、それが歴史の流れを決定付けていると言っても良いでしょう。
・隠岐、出雲の重要さ
スンダランドが水没し、避難民が日本列島に移住して来た時に、最も重要な拠点として機能したのが出雲地方と隠岐だったと思います。その理由は、スンダランドのすぐ北に有ること、当時の日本海は陸地に囲まれた湖の様な海で、津波の影響を受けにくかったこと、そして隠岐や出雲は地理的に日本海の要衝に有り、高い山も近くに有ったことなど、避難先として条件が良かったと思われることです。
そして、数多くの伝説の存在が上げられます。
古事記には、ヤマタノオロチ神話が有ります。スサノオは出雲地方の八岐大蛇を倒す事で、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と言う新たな力を手にしました。この剣はその後、天皇の正当性を裏付ける三種の神器の一つ「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」になります。
また、「因幡の白ウサギ」の伝説も有ります。大国主(オオクニヌシ)が日本を統一するにあたり、海を渡るのに失敗した隠岐の白ウサギを助けました。それが大国主の未来を予言したと言う伝説です。隠岐の島は、昔は出雲と地続きでしたが、その後に海面上昇で島になっていて、それも暗示させています。
この2つの力は、出雲の地から得たものです。隠岐、出雲には、遥か昔の古代文明の優れた知識が残っていた、そんな重要な拠点だったのかもしれません。
古事記はただの神話で信用出来ない、と言う意見も有るかもしれません。しかし、オオクニヌシの国譲り伝説では、新たな勢力に負けたオオクニヌシは、こう言ったといいます。
『大国主は「二人の息子が天津神に従うというのであれば、私も逆らわずにこの国を天津神に差し上げる。その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。私の百八十神たちは、事代主に従って天津神に背かないだろう」 と言った。』(wikipediaより)
この、神話と思われた出雲の高層神殿の柱跡が、近年出雲大社の敷地から発見されました。発掘調査により、神殿の高さは50メートルぐらいだったろうと推測されています。これでも驚くほど高いのですが、出雲大社の記録によると、その前は高さ100メートルの神殿だったと言います。なんとう建築技術でしょうか。ただ案の定と言うか、度々倒れて巨木が調達出来なくなり、半分に低くなり、やがて高層神殿を建てる事も辞めたらしいです。
また、神話ではタケミナカタは諏訪まで逃げて、そこで服従し定住したと有りますが、諏訪大社には別の伝説も残されています。諏訪地方の有力な神がそれを不服とし、タケミナカタと争ったと言うのです。結局は停戦しましたが、両者が並び立つ事になったらしいです。その影響か、諏訪大社は神も宮司も2系統有り、現在までそれが守られています。これらは驚くべき神話との一致です。
この国譲りの神話は、後の天皇を生み大和朝廷の前身となる集団が、全国を支配下に置くための内戦過程での出来事だったと思われます。それはまた、それ以前はオオクニヌシ(大国主)の権威が強かった事も窺わせています。注目すべきは、オオクニヌシの元に百八十神の神が居たという事です。この神は全国に居た有力者達を示していると思われます。
縄文時代が広範囲な交易圏を持っていた事は前に言いましたが、その割には戦争をした形跡が有りません。平和な時代を1万年ぐらい続けていたのです。
出雲には、年に1度全国から神が集まったと言う神話が残っいて、今も祭事として継承されています。それを出雲では「神在月(かみありづき)」と呼び、それ以外の地方では「神無月(かんなづき)」と呼びました。時期は陰暦10月で、秋の収穫が終わり冬を前にした、旅行や会議にちょうど良い時期です。
古代に出雲を拠点にしていたのは大国主であり、縄文時代には、意思決定と情報交換をする重要な会議が、出雲で毎年定期的に開かれたのでは無いでしょうか。
時代は少し新しく、大和朝廷の時代になっても出雲と隠岐は別格扱いでした。隠岐は小さい島ながらも国として扱われ、これは、その時代の以前から隠岐と出雲は特別な存在だった事を示しています。
・縄文の鉄と神
スンダランドから津波を逃れて来た民が選んだのは、太平洋側より日本海沿岸だったと思われます。何故なら当時の日本海側は陸地に囲まれており、津波に強かったはずだからです。雪山も有り、きれいな水も豊富であった事も魅力だったでしょう。
そして出雲には別の注目すべき点があります。出雲も諏訪も国内有数の砂鉄の産地である事です、世界的な砂鉄の産地としての知られています。特に出雲は、その中でも上質な砂鉄の産地であり、今も高級な刃物の原料に使われています。草薙の剣との関連は有るのでしょうか。縄文時代に、鉄器が存在したのでしょうか。
ヤマタノオロチ神話は、国譲り神話よりずっと前の出来事だったと思われます。日本古来から伝わる製鉄技術の「タタラ」は、日本独自の日本にしかない技術です。さらに「タタラ吹き」と「たたら製鉄」違う技術で、大陸から伝わったの製鉄技術とは違っています。日本刀の原料になる玉鋼は「タタラ吹き」で作られます。
縄文に鉄器が有った可能性としては、非常に薄い厚さ数ミリの木製の容器の存在が有ります。石で削ったにしては精巧すぎるし、しかも漆で塗られています。この様な漆器が発見されています。
また、天皇が発生するよりずっと以前、スサノオが手に入れた剣は、日本を統治する者を権威付ける剣でした。外国から製鉄が入る前の伝説だと思われます。天皇が代々所有していた草薙の剣は、現在では失われていますが、これは鉄器で有ったと言われています。
更に、日本刀の刀匠は、神主に近い装束を着て神聖な儀式として行います。鉄の農具を作る職人とは違う雰囲気を持っており、格の違いが有る様です。なぜ日本では刃物を作る事が神事なのでしょうか。
これらは、古代から神官が製鉄や刀鍛冶を行っており、それを権威付けに利用していた可能性を示しています。
もし、出雲の神官が製鉄技術を持ちそれを秘密にし、少量の鉄器を全国の神に分けていたのなら、出雲の権威はずっと持続出来たに違いありません。天皇の権力の裏付けになった三種の神器は、剣と玉と鏡です。いずれも古代において加工が難しかったと思われる物ばかりです。
しかし、鉄器が外国から手に入る事になれば、その価値も減少し、出雲の権威も衰退して行ったでしょう。そうなれば秘密にしておく必要無くなり、産業として利用する道を選んだのかもしれません。
現在「タタラ吹き」は、年に一度神が集まったとされる「出雲」に唯一残されています。
古代史で有名な邪馬台国は、縄文文化の流れをくんでいたと思われますが、オオクニヌシや大和朝廷との関係は分かっていません。ただ、倭国大乱が起こり、卑弥呼を立てる事で内戦が治まったと書かれています。
これより日本の古代は、縄文時代から連邦国家であり、全国に多くの権力者が存在しそれぞれが国を治め、それがまとまる形になっていた可能性が有ります。江戸時代の治世に近いかもしれません。
しかし、それが気候の安定と農耕の発展と、大陸の勢力の成長ともに争いが起こり、中央集権化が進んだのだのでしょう。その最後の勝者が、後の大和朝廷だったと思われます。
・文明の故郷、アトランティスとスンダランド文明(ムー)
古代の遺跡や人の流れを注意深く見てみると、超古代文明の特徴が見えて来ます。
スンダランド文明(ムー)の特徴と思われるものは、縄文、プレ・インカに残ったと思われ、その特徴と考えられるのは、
・自然信仰
・シャーマンを重視した治世
・文字をあえて使用しない伝承文化
アトランティス文明の特徴と思われるものは、マヤ、シュメールに残ったと思われ、その特徴と考えられるのは、
・複雑な文字
・高度な天文学や数学
・爬虫類信仰
これらより、スンダランド文明は精神文明を発達させ、アトランティスは高度な科学文明を発達させた事が推測できます。そこから、今も残る末裔の姿が浮かび上がります。
スンダランド文明の末裔と思われる民族は、縄文人に似たモンゴロイドで、日本人、ブリヤート人、チベット人、エスキモー、ペルー先住民などでしょう。ほとんどが衰退したり弱小な民族ですが、スンダランド文明の直系と言えるほど精神文化を色濃く残しており、現在もまとまった無視出来ない勢力を保っている日本人は、希少な存在だと思われます。世界が不思議に思う日本人の精神文化は、運良く生き残った超古代の遺産かも知れません。
アトランティスの末裔と思われる民族は、マヤ、シュメールだろうと思います。直系はマヤで有ったでしょうが、ほぼ文化的に消滅したと思われます。シュメールも滅びましたが、古代イスラエル人に引き継がれ、現代まで残っているかも知れません。ただし、数は少ないでしょう。もしかしたら、一部のユダヤ人の天才的な科学の才能も、超古代の遺産かも知れません。
その他の文明は、地中海とエジプトは津波の被害が小さかったと思われます、文化は割と継続されたでしょう。ただし、その勢力は古代はかなり小さかったはずです。インド辺りにも文明が有ったと考えられますが、被害は大きく、その痕跡はヒンズー教に残っているかもしれません。
メキシコ、ペルーはUFOの目撃が多い事でも有名です、実は日本もUFO出現が多いらしいです。超古代文明と何か関係が有りそうな気がします。
・古代と今
もしアトランティスの末裔が今も居るとすれば、それは世界に散らばっており、もう特定の民族とは呼べないかもしれません。そして、得も知れない苦悩を感じているかもしれません。その苦悩と流浪は、アトランティスを崩壊させ、世界を巻き込んで大破綻を引き起こした事に起因すると思われます。
進んだ科学力にも関わらず、アトランティスは崩壊し、世界を巻き込んで大破綻を引き起こしました。その苦悩は日本人の敗戦の比では有りません。日本は「国破れて山河有り」と言われましたが、しかしアトランティスは、国と国民と文化と国土、このすべてを同時に失ったのです。しかも、科学を過信した自己の傲慢さが原因だと思われるのです!
その苦悩と悔悟と流浪の歴史は受け継がれ、そのカルマはもはや原罪と呼べるほど重く、そう簡単には解消しないかも知れません。いずれ、その古代の呪縛から、解き放たれるであろう事を願います。
精神文化とサブカルチャーを世界に広げようとする日本人、科学により世界を一つにしようとする世界に散った人々。人類は1万年以上前の歴史を、また繰り返しているのでしょうか。
2009.9.28
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