五社堂の説明看板★
緯度
39.870508°N
経度
139.75109°E
高度
156.40 m
位置情報
男鹿市, 秋田県, 日本
「赤神神社五社堂」
赤神神社の創立は極めて古く、赤神は漢の武帝の飛来したところと伝えられ、貞観二年(860)、
慈覚大師がここに日積寺永禅院を建て、赤神をその山神としたという。
建保四年(1216)に源実朝は堂社をことごとく比叡山に模して造営したとされている。
その後、応安五年(1372)に安倍高季によって修復され、元和三年(1617)拝殿造営、
寛永十五年(1638)、寛文二年(1662)再興、延宝三、四年(1675〜76)には堂全体の造営があった。
現在の社殿は、秋田藩主第四代佐竹義格の命により大久保小左衛門が普請奉行となり、
宝永四年(1707)から七年(1710)にかけて建替えられ、江戸中期様式を示す建築である。
五社は、向かって右側から三の宮堂、客人権現堂、赤神権現堂、八王子堂、十禅師堂で、五棟とも格桁行二間、梁間三間一重、
正面入母屋造、背面切妻造、妻入、向拝一間、唐破風造、鉄板葺の建造物である。
中堂は、逗子をおさめるために他より大きい。また、同型式の社殿五棟が山中に横一列に並んで現存しているのは極めてまれである。
この地は、平安時代末から天台宗山岳仏教の修験道場として発展し、後に真言宗に改宗、藩主から多くの神殿を寄進され、
衆徒の存在も知られ、おおいに栄えていたが、明治になり神仏分離令により赤神神社として残る。
国、県、市指定文化財(建造物、彫刻)
(略)