心と意識場について
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心と意識場について

「心とは何か?」
 この問題は、古代から人を悩ませ、そして魅了してきた。歴史上多くの哲学者や科学者が心について論じ合った。その論説は魅力的ではあるが、とてもこの命題の解を導いたとは言えないだろう。また最近では、医学的、科学的に解明しようとする試みも始まっている。しかし、この心という謎に明確な答えを出すに至っていない。漠然と心は脳にあるらしいと推測し、実証するための研究をしているだけだ。

 心を別の言葉で表すと、主に「意志や感情」を意味し、心は人間の個性の重要な位置を占めている。心が、肉体や環境や経験と相乗効果を生み出し、人間という不思議な生き物の核になっていると言える。
 私は、この『心』という現象を最も的確に説明できる概念として『意識場』を提唱する。ほとんどの人は、電場、磁場、重力場という言葉を聞いた事があるだろう。心もこのような『場』であるという説である。
 この文書では、心の謎を追求するために、意志、感情、知性、個性について論じ、最後に意識場について説明する。

1.意志について

 全ての生物は生きようとしている。もちろん人間にも生きようとする生存欲求がある。これはほとんど無意識で、明確に自覚することは稀である。しかし、生きるか死ぬかは、人間にとって常に重要な問題であり続けた。「生きるべきか死ぬべきか」という葛藤、生死を分ける戦い、生命の危機に陥った時の苦悩、危機脱出のための全身全霊を使った努力。これら生と死のドラマは人を惹きつけ、現実の物語だけでなく空想の文芸作品でも多く取り上げられている。生存欲求は、心に重大な影響を与えている。これを否定する事は不可能である。
 生きようとする意志は、心と切っても切れない関係にあり、『意志』は、心の最も重要な構成要素だと言える。

 この生存欲求は、人間だけに見られる現象ではない。全ての生物に明確に見い出される。しかし、虫や動物の生存欲求は原始的な本能に分類され、虫に心は無いとされている。しかし、本当にそれでいいのだろうか?
 人間の生存欲求は、知性と密接に関係している。自己の生命を脅かす危機に直面した時、人間は最も頭を働かせ危機を逃れようとする。そして、虫や動物も生存の危機に直面した時、驚くような行動を見せる場合がある。ミツバチを例に上げれば、スズメバチがミツバチの巣を襲うと、強力な顎と強い力を持つスズメバチに、ミツバチに簡単に殺される。巣が全滅する時もある。ところがミツバチは、意外な行動をとってスズメバチを撃退する。ミツバチはスズメバチを集団で取り囲み団子状になっていく。もちろん最も内側のミツバチはスズメバチに殺されるが、次々とミツバチが集まり団子を修復していく。この行動にはもちろん意味がある。こうする事で団子の内部の温度が上がり、スズメバチが熱死するのだ。個々ではまったく敵わないミツバチが、集団でスズメバチを撃退するのだ。
 これに近い行動はアリにも見られる。洪水になって巣穴が水没すると、アリは集団で繋がり合い船状になって移動する。女王アリは、この船の中央部の最も安全な場所に陣取り、その周囲を多くのアリで取り囲む。船底になっているアリは水没し死ぬ確率が高い。それでもアリは船を作る。しかもアリは、船底には水に強く浮きやすい幼虫や卵を配置する。アリの巣穴では、幼虫や卵は最も大事にされ守られている存在だ。しかし、洪水という巣が全滅する危機に直面した時は、幼虫や卵を船の道具として有効的に使うのである。成虫よりも幼虫や卵の方が、水に接した時に死ぬ確率が低いので、これは理にかなった行動である。
 もし、女王アリがこれらを命令しているのなら、女王アリは高度な知性を持っていると言えるだろう。しかし、アリは所詮アリである。人間のような脳は無く、小さな神経の塊(神経節)が頭や胸や胴体にあるだけだ。よって高度な知性があるとは考えられない。しかし、アリは危機脱出の際に高度な集団行動をとる。

 これらの行動は、本能によるものと学者は説明している。しかし、生存欲求が個体にあるのならば、危機が迫った時には自己の生存を優先し我先に逃げるはずである。ミツバチがスズメバチと戦えば、ほぼ100%ミツバチが殺される。針で刺せば100%自己が死ぬ。それでもミツバチはスズメバチと戦う事を選ぶ。これは集団の生存欲求が、個体の生存欲求より上位に位置する事を意味する。しかも、先に戦うのは高齢のハチだという。若者を残して老人が先に突撃していくのだ。ミツバチもアリも、自分の死より集団の生き残りを優先する。しかも、そこには生命の優先順位すらあるのだ。
 学者は、これらの本能的行動は、自分に近い遺伝子を残すために「利他的」に行動していると説明している。しかし、遺伝子は細胞内部に存在している。ハチやアリは自分に近い個体の遺伝子を、どうやって知り、どうやって見分けているのだろうか? 集団の危機をどうやって認識し、自分が突撃する番だなと、どうやって決定するのだろうか?
 また、アリの巣には、働かないアリが必ず一定数いるという。一生働かないアリすらいるそうだ。この働かないアリを巣から取り除くと、働き者だったアリの一部が休み、働かないアリになるという。一方、働かないアリだけを集めると、怠け者だったアリは働き始めるのだ。つまり、アリは集団の中で「空気を読んでいる」としか思えない行動を示す。

 進化論を提唱した偉大な生物学者のダーウィンは、進化論より時間を掛けたミミズの研究で「ミミズに知性がある」と結論付けた。もちろんミミズには脳は無い。昆虫のような神経節すら無い。しかし、ミミズは生命の危機に直面した時、知的行動を見せるというのだ。
 ミミズや昆虫に、本能がある事は誰もが認めるだろう。しかし、ミミズや昆虫に心や知性があるかと問われれば、否定する人がほとんどだろう。では、なぜハチやアリは本能として知性を発揮するのだろうか? ダーウィンはなぜ偉大な観察眼で、ミミズに知性があると結論付けたのだろうか?

 人間が生きたいと思うのも、美味しいものを食べたいと思うのも本能に起因している。そのために知性を最大限に働かせ努力する。お腹が減れば、食事をしたいと思う。本能が無い人間は、お腹が減っても食べたいと思わないであろう。このような場合は、その人間は生きていけない。その人間は、生きる事も子孫を残す事も不可能である。人間から本能を奪ったら、大部分の意志が消える。同時に、心の大部分が無くなる。逆に、本能があれば、その生物には必ず意志が存在すると言える。
 よって、本能と意志は不可分で、心と本能も不可分であると結論付けられる。

2.感情について

 心の主な構成要素が「意志と感情」だった。全ての生物に、本能として生存欲求が備わっている。よって全ての生物は、本質的に意志を持っていると言える。では、感情はどうだろうか?
 感情は「喜怒哀楽」で表され、人間には豊かな感情がある事を否定する人はいない。では、動物に感情があるのか?と問われれば、間違いなく有ると答えるしか無い。犬や猫を観察すれば分かるが、豊かな感情表現が見られる。飼い主に甘えたり、時に怒りをぶつけたり、飼い主に会えない時は寂しがり、生まれたばかりの子が見えないときは戸惑ったように探し回る。これらは間違いなく感情表現である。

 この感情も、本能的な生存欲求に大きく影響されている。美味しいものを食べれば喜ぶ。叩かれたら怒る。親しい人を亡くした場合は悲しむ。空腹も感じず危険も感じて居ない場合はくつろぐ。まさに、生きるために必要なものが満たされれば喜び、満たさらなければ怒り悲しむのだ。これらの感情が、心の表れである事を否定する人はいないだろう。感情は、生存欲求という生きようとする意志があり、自己の存在する環境があり、その結果が「評価」になって表現されていると言える。また、感情は意志と環境の相互作用として発生しているとも言えるだろう。

 犬や猫には、意思と感情が認められた。よって、心があると結論付けて良いだろう。では、昆虫やミミズに感情はあるのだろうか?
 これは明確には分からない。生態的に感情表現がよく分からないからだ。ただ、ミミズは棒で押さえると全身をバタバタさせる。これはもがき苦しんでいるように見える。また、ハチやアリは巣を壊すと攻撃してくる。人間が攻撃的になるのは怒りの感情の結果であり、ハチやアリも怒って襲って来ると考えられる。
 動物や人間には、意志と環境の相互作用で感情が発生していた。虫にも本能があり意志があるのは明白である。動物にも感情がある以上、虫にも意志と環境の相互作用で、感情が発生している可能性は否定できない。虫に人間のような感情表現がなくとも、虫には虫なりの感情があると考えた方が、進化の継続性から見て妥当と考えられる。つまり、『虫にも心がある』と認めた方が良いだろう。

3.知性について

 生物には、生きようとする意志がある。そして、生きるために努力し、成功したら喜び、失敗したら悲しむ感情がある。これがこれまでの結論である。
 さらに生物には、より良く生きるために工夫する行動が見られる。この生きるための工夫は、人間や動物はもちろん、ハチやアリの昆虫やミミズにも見られる。ただし、この知性は心から生まれるが、肉体に大きく影響されると言える。
 人間は、生きるために道具を作り法律を作る。このような行動は、動物や虫には不可能である。だからと言って、虫や動物に知性が無いという事にはならない。ハチやアリは、集団として高度な知性を発揮し危機に対処していた。ミミズですら生き延びるために知的な行動をするとダーウィンは結論付けた。知性は、生きるための創意工夫を意味している。文明が無いから知性が無いと決めつける事は誤りなのだ。

 人間には、生きようとする意志があり、意志と環境の相互作用で感情がある。そして、肉体を使った知性を発揮する。これは、万人が認める事だろう。この意志に、大きな影響を与えているのが本能であった。
 従来は、心と本能を別なものとして考えていた。しかし、意志を決定づける要因が本能であった。感情は意志と環境の相互作用で生まれるが、その意志と評価は本能的なものに起因している。ある生物は光を嫌い、ある生物は光を好む。この好き嫌いも本能である。好きか嫌いかの原点は本能なのだ。
 人間の場合は、意志と感情を「心」という言葉で表しているが、他の生物では本能とされている。本来、心と本能はほぼ同一で、分離することが不可能なものなのだ。 本能があるから意志が生まれ、本能があるから好き嫌いと感情が生まれる。心と本能は同一のものと言え、心と本能を分けて考える事は間違いなのだ!

 この事は、全ての生物に心が存在する事を意味している。人間には人間の心があるように、動物には動物の心があり、虫には虫の心があると考えられる。これは、心の解明に重要な意味を持つ。ミミズには脳は無い。つまり、脳が無くとも心が存在すると示唆されたのである。もっと具体的にいうと、意思と感情と知性は、脳とは別に本質が有る可能性が高いという事だ。
 意志や感情と不可分なのが本能である。本能は遺伝子と関係が深い。遺伝子は細胞内に存在し、全身に存在している。つまり、心は生物の全身に存在している可能性が高いのだ。

4.個性について

 個性は、生物の持つ特徴を意味している。個性とは、他者と比較して違いが際立っている部分を意味し、肉体的な個性と内面的な個性に分けられるだろう。個性的な容姿とか、個性的な声とかの表現がある事からも、肉体に個性が有る事は明白である。肉体的な個性は、遺伝子と本人の生活が生み出している。
 では、内面的な特徴はというと、怒りっぽいとか、優しいとか、強い意志を持つとか、泣き虫とかで表現される。これらは、意志や感情が絡み合って生み出されるが、他者の主観でもあり明確ではない。これらを総じて「性格」と呼ぶ事ができる。
 人間の場合はあまり明確ではないが、性格は遺伝子による影響が大きいと考えられている。人間に非常に近いペットである犬と猫を見てみると、犬は飼い主に対して忠誠心があるが、猫には全くと言ってよいほど無い。これは、種の違いによる性格の違いであり、遺伝子が違う結果であろう。数千年も前から人間に飼われているのに、その性格は変化していない。動物の基本的な性格は、生活環境によって変化しないのだ。
 また、犬の中でも、神経質な犬、陽気で人見知りしない犬など、色々な性格の犬が存在する。その結果、ブリーダーにより外観と性格が特徴として定義され、ペットに向く犬と、番犬に向く犬と、ソリを引くのに向く犬と、はっきり分類されている。これらの性格は、実際に遺伝しているのは経験上事実なのだ。つまり、人間の性格も遺伝的影響が大きいと思われる。

 性格以外で、内面的な個性として重要なのが「才能」である。特に天才と呼ばれる人の個性は際立っていると言える。天才と呼ばれる人は、幼少の頃から才能を発揮する場合が多い。神童と呼ばれ、大人顔負けの才能を発揮する子供がいる。しかし、神童の多くは大人になると凡人になるという。天才と凡人の遺伝子を比較研究した科学者もいるが、結果は驚くべきことに差が無かった。つまり、天才は遺伝しないのだ!
 天才は遺伝ではなく「偶然」生まれているようだ。本能に起因する心とは、別の要因で天才が生まれている事になる。そう考えると、神童が凡人になるのも納得できる。遺伝的では無い何かを失ったのだろう。
 色の見極めや音を聞き分けるなど、肉体的能力が遺伝に影響される事は疑いようがない。色覚や聴覚が優れている人は、その分野である程度成功することができるだろう。しかし、創造性を伴う仕事になると、才能という見えない壁が立ちはだかると、よく人は言う。努力では超えられない何かがあるのだと……

 知性は、意志と感情を原因として肉体から生まれる。これは、本能と遺伝に影響されていると説明可能である。しかし、知性は才能にも大きく左右される。心には、遺伝的な要因以外の、才能や知性という未知の個性が存在するようである。


5.意識場について

 本論では、本能と心が不可分であり、基本的に同一という結論を導いた。そして、心は全身に存在するという結論と、全ての生物に心が存在するという結論も導いた。 しかし、これで遺伝子に意志があるという結論には至らない。なぜなら、才能という個性から、遺伝子以外の要因が確認されたからだ。

 そこで出てくるのが『意識場』という概念である。ハチやアリには、集団として意志と知性が見られた。これは本能による行動と考えられている。しかし、個々の中に存在する遺伝子が、これらの集団行動を制御できるとは考えにくい。 つまり、遺伝子とは別の未知の何かが「集団意識を司る場」を作っていると考えられるのだ。
 この「場」が意識場である。生物の心を形成しているのは「遺伝子と意識場」であると仮定される。

 意識場は遺伝子と関係が深いことから、全身に存在すると考えられる。つまり、心も全身に有ると考えられる。もちろん、個体として意識場が存在するが、意識場は個体間でも相互作用を生んでいると考えられる。ハチやアリの集団では、個体としての意識場と、それらが集まった集団の意識場が存在し、外敵や危機に直面した時には、集団意識場が強く個体に作用していると考えられる。こう仮定すると、ハチやアリの自己犠牲や高度な危機回避行動が説明可能になる。

 この個体と集団の意識場は、もちろん人間にも当てはまる。人間の個体が接触した時、意識場は相互に影響を受けると考えられる。それは、見知らぬ人同士が接近した場合に、意識しなくとも同調と共感が生まれる可能性を示唆する。例えば、災害現場などでイライラが伝染するのも意識場の影響かも知れない。コンサートや集会の一体感とか高揚は、集団全体の意識場が生まれ個人の意識場に作用していると考えられる。
 恋人同士が手を繋ぎ体を密着させたがるのも、嫌いな人に1メートル以内に近づいて欲しくないのも、意識場の作用を本能的に自覚しているからだろう。「空気を読む」とか「雰囲気」とかの言葉もある。これも意識場で説明可能である。意志の弱い人が雰囲気に流されて、いつもの自分と違う行動を取るのも、集団意識場が作用したためだと考えられる。
 意識場が最も濃密なのは、もちろん個体内だろうが、生物が住む全ての空間には、個体から漏れ出た微弱な意識場があると思われる。意識場は物体ではなく場とする事で、生物から外にも漏れ出し、また生物も外部の意識場の影響も受ける事を説明できる。巷で噂されるパワースポットやオーラも意識場で説明可能だろう。このように意識場で説明可能は現象は、虫から人間から自然界まで多々存在する。

6.意識場とは何か?

 心とは何かを追求したら、意識場という別の概念が出てきてしまった。これは、あまり褒められた結果では無いが、出てきたものはしょうがないと言える。
 意識場は、アリの巣を問題なく貫通する事から、透過性が高く相互作用のある「場」で説明される。おそらく波のようなものと思われるが、実態は不明で素粒子より見つけにくいものかも知れない。それが何かは明確には分からないが、昔から『魂』なる概念が人間界にはある。おそらくは、これに近いものになると考えられる。
 なぜ意識場という言葉を使ったかというと、魂や神ではあまりにも使い回された言葉で、誤解を生みやすいと考えたからだ。「生命には未知の精神活動があり、それは場であり個人と集団に作用する」と説明した方が簡単明瞭だからだ。

 生物の設計図として遺伝子があり、生物全身に個性を決定付ける意識場が存在している。そして、この意識場は全ての生物に存在していると考えられる。動物には動物にふさわしい意識場があり、虫には虫にふさわしい意識場があり、植物には植物にふさわしい意識場があり、意識場は全ての生物に存在すると考えられる。 昔の人は「一寸の虫にも五分の魂」と言っていた。また、八百万の神や、万物に神が宿るという日本古来の価値観もある。これらは、意識場を理解すれば容易に納得がいく考えだ。古代人は意識場が万物に宿っている事を知っていたのかも知れない。

 意識場が何かは分からないが、心や内面的な個性から遺伝的なものを除いていくと意識場の本質が見えてくる。意志や感情や性格は遺伝的な影響が大きい。よって残るのは「知性」である。これが意識場の本質と思われる。

 最後になるが、この知性は何か?という問いに関しては、今回は追求しない。ただ、生まれ変わりを信じていた古代の伝承から、この意識場の本質は『輪廻転生する』と思われる。日本伝統の価値観は、無知から出た迷信などではない。現代科学を遥かに凌ぐアトランティスの科学知識の名残である可能性が高いのだ。おそらく、アトランティス時代には意識場を解明していたと考えられる。
 遺伝子は生物の設計図だった。遺伝子は行動も設計していると思われる。つまり、生物の行動は遺伝子によって、生まれる前からプログラミング済みであると考えられる。ロボットがどんな複雑な行動をしても、意志や感情があるとも、ましてや心があるとは言わないだろう。遺伝子だけでは、生物はロボットと同じで、そこに意識場という知性が宿る事で、ロボットから心を持つ生命体になるのではないだろうか?

おまけ

 この文書を書いているとき、面白い話題を見つけた。

『泳ぎが不自由な仲間の出目金の食事手助け 「介護金魚」が北海道・平取で話題
 上手に泳げない金魚が水面に浮いた餌を食べようとすると、仲間の金魚が懸命に泳いで下から支えようとする―。日高管内平取町の自営業武田仁志さん(30)宅の水槽で、そんな金魚の行動が見られ、町内の話題になっている。今夏に札幌で買った2匹のうち、黒い出目金が11月初めからうまく泳げなくなり、水槽の底に横たわった状態に。その後、給餌のたび、水面まで泳ごうとする出目金を赤い金魚が下から押し上げる行動に気が付いたという。サンピアザ水族館(札幌)は「聞いたことがない」。知人も「まるで介護金魚だね」と驚く。・・・2017/01/04 22:45 【北海道新聞】』

 これは「利他的行動」であるが、黒い出目金と金魚なので遺伝子は無関係だろう。よって科学者は沈黙するだろう。しかし、意識場では明確に説明可能である。金魚にも「知性」が宿っているのだと……

あとがき

 NHKの「サイエンスZERO」という番組で面白い問題提起があった。それは「心はどうやって生まれるのか?」というものだった。それに刺激を受けて書いたのがこの文章である。UFOとアトランティスが停滞しているので、ちょうど良く自分ができそうな事を見つけたと思った。
 しかし、昔から哲学や意識について興味があり、自分なりの理論が有ったつもりなのだが、久しぶりに書いてなかなかまとまらず、だいぶ錆び付いてるなと感じた(汗)
 まあ、意識場や知性は、神や創造主や宇宙人や、この宇宙の仕組みにも繋がるのだが、それはまたの機会で書こうと思う。なにしろ、遠大すぎて結論がまだ微妙なテーマなのだ……
2017.1.7
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